小島やよいのアートママ奮戦記

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memory 1: RQが生まれたときのこと

台風一過で、その日は朝からぱあっと晴れ上がっていた。
私は午後1時からの帝王切開の手術を控えて、
落ち着かない気持ちで病棟の屋上庭園を歩きながら
「いいお天気だね。もうすぐ会えるね。元気で生まれてきてね」
とおなかの子に話しかけていた。
「このきれいな青空みたいな名前にしたいなあ」と思ったりしながら。


手術を受けるのはやっぱり恐かった。
入院の数日前には気持ちが不安定になって、わんわん泣いたりした。

帝王切開はラクな出産方法だと思っている人がいるかもしれないけど、
麻酔をかけてお腹を切る、手術なわけで、それなりに体に負担がかかる。

「子宮頸部に筋腫があって、妊娠とともに大きくなってきています。
これは産道をふさいでしまう可能性がありますから、自然(経膣)分娩は
無理です。予定帝王切開にさせてください」
と、診察で言われた時には、軽いショックを受けつつも
「そうかー、じゃあ呼吸法とか練習しなくていいんだ」などと思う程度だった。
数週間経って、手術日と入院日を決めましょうということになり、
「本当は38週目がいいと思いますが、あいにくその週には
麻酔科の学会があって、麻酔科が手薄になります。ちょっと早いけど
37週目にしましょう。木曜日でいいですか?」
陣痛が起こって、胎児が降りてきてしまっては大変なことになるので、
早めに帝王切開をして出してしまわなければいけない。
「あの、先生、金曜日のほうがいいんですが…」
「そうですか、では金曜日で予定します」
ということで、RQの誕生日は病院の事情と
親の「一日でも遅く」という希望で決められた。

さて、当日までは妊婦とはいえ元気だったので、
余裕で仕事の電話なんかもしていたのだが。
手術=出産を境に状況は一変した。

手術室はなんだか工場みたいだった。
まず麻酔。横向きに背中を丸めて、「絶対に動かないように」
しなければならず、ちょっと緊張。
意識はハッキリしているので、先生たちの話し声も全部聴こえる。
メスが入った瞬間はなんとなくわかったけれど、もちろん痛みはなし。
でもなんだかおなかの右側が痛む。
胎児を引っ張り出そうとしている、その「引っ張られる」感じが
妙にリアルで、おなかの右側の痛みとともにそれに耐えていた
時間がとても長く感じられた。
先生、「うーん」とけっこう力を込めて引っ張っている…。まだかな…。

「生まれました。午後1時47分。男の子ですよ」
という声を聞いた時には涙が流れた。
小児科の先生の診察を受けている間に「ふんぎゃあ」という声が
やっと聞こえ、しばらくして看護士さんが抱き上げた赤ちゃんを目の前に、
見せてくれた。「元気ですよ。心配ないですよ」「ああ、よかった」

赤ちゃんは保育器に入れられて先に手術室を出る。
私は引き続き、胎盤を摘出し、縫合を受ける。
痛みが強くなってきて、気分も悪くなってきた。
少し強い麻酔を追加され、笑気を当てられて朦朧としつつも
断片的に聴こえる音が妙に大きく、頭の中で響いている。
あ、ブラームスの交響曲3番…悲しい曲だなあ。
ジェーン・バーキンが「Baby alone in Babylon」て詞をつけて
歌っていたな。好きな曲だけど、
バビロンでひとりぼっちのベビー、なんて今は悲しくてやだなあ。
「このCDって、患者さんの?」と先生の声。
「いえ、違います」と言いたいけど声が出ない。
「いや、ここにあったCDです」と別の先生の声。
「先生、筋腫の状態を確認しましょう…うーん、やはり大きくなってましたね。
しかしこれは切除は無理ですね」という声も聴こえる。
すーっと意識が遠のき、どのくらい時間がたったのだろうか、
「終わりました。病室へ移動します」という声で正気に戻った。

手術室から出ると、夫と夫の母、実家の母が待っていてくれた。
「お疲れさま」「いい子よ、すごくいい子」…
私はホッとして嬉しくも、麻酔の気持ち悪さがかなり強く、
手術を受けたおなかも痛くて、何もできない気分だった。
ストレッチャーに寝かされたまま、エレベーターで病室に戻る。
が、エレベーターがなかなか空かず、
来ても乗れない状態だったりでしばらく待たされた。
(気持ち悪いよー。早くベッドに寝かせて…)

病室では朦朧としていて、赤ちゃんは新生児室の保育器の中だし、
食事もその日はできないし、寝ているしかなかった。
そのうち頭がガンガン痛くなり、
ついには後陣痛(出産後の子宮の収縮に伴う痛み)が始まった。
こんな状態じゃ赤ちゃんの世話なんてとてもできないや、
会いたいけど今日は保育器に入ってくれていて良かった…と思った。

翌日の朝、小児科の先生が深刻な顔でやってきた。
「お子さんの呼吸が安定しないんです。
NICU(新生児集中治療室)のある病院に転院させるほうが良いと
思います。これから救急車の手配をします。
ご自宅に電話しているのですが通じません。
ご主人の携帯の番号を教えてください」
大変、どうしよう。と思うのだけれど体が動かせない。

ほどなくして産科の主治医の先生が
「救急車が来る前に、新生児室にお子さんの顔を見に行きましょう」
と、車いすを運んできた。行かなくちゃ。でも先生、動けません。痛い…。
それでも先生は、私を無理矢理車いすに乗せて連れて行く。
保育器に入っている我が子には、
鼻や口にチューブがたくさん取り付けられている。
中に手を伸ばして触る。
いつ戻ってこられるかわからない。
でも私が一緒に転院するわけにも行かない。
駆けつけた夫が付き添って、保育器に入ったまま
救急車に乗っていくのを呆然と見送った。

後から、やはり駆けつけた実家の母が言った。
「あの時、万が一のことがあったらと、
先生は無理にあなたを起こして赤ちゃんに会わせたのね。
あなたが耐えられるのかどうか心配してたのよ」

秋篠宮親王ご誕生の会見で、愛育病院の院長が
「普通分娩の場合、胎児が産道を通る間に、肺の中の羊水が
自然に絞り出されるのだが、帝王切開の場合はそれがないので、
生まれてから水を出して呼吸が安定するまで時間がかかる」
と説明していたが、なるほどなあと、今さらながら納得。
NICUのある病院を選べば、
生まれてすぐ離ればなれになることはなかったのかなあと、
今さらながら思ったり。(私は愛育病院ではなかったので!)

RQが無事に戻ってきたのは、それから5日後のことだった。
この続きはまた、次回に。

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コメント (4)

なんだか、読んでて涙がでました。
こんなことがあったからこそ、今元気なRQくんが、何よりの宝物ですね。元気なRQくん。それが、一番の喜びですね

こじまやよい:

スイッチさん、こんにちは。
そうなんです。
すんなり育っていたら、感じ方が違っていたかもしれません。
今でも新生児室がTVニュースで映ったりすると、
「赤ちゃんが元気なだけで嬉しい」と涙ぐんでしまいます。
(涙もろいのは歳のせいかも…)
また師匠と遊ばせてくださいねー!


あさひな ちづる:

こじまさん、お久しぶりです。
帝王切開って大変なんですね…。
私の周囲には、今妊婦が何人かいます。
NICUがある病院を選ぼうか選ぶまいか迷っている子がいるのでこじまさんのホームページを教えてあげようと思いました。
ううむ、自分もまだまだというかそんな予兆すらないのですが(苦笑)いろいろ考えさせられます。
「純情きらり」は私もはまっていますよ~。

こじまやよい:

あさひなさん、こんにちは。
うーん、やはり高齢だとそれなりにリスクがあるのです…
今度そのことについて書きますね。
また旅のお話聞かせてください!
私には行けそうもないところにひょいひょい行っているあさひなさんの勇気と行動力、
お話を聞くとそれを少し分けてもらえるようで元気が出ます。
RQがもう少し大きくなったら、一緒に冒険旅行してみたいな、と思います。

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