小島やよいのアートママ奮戦記

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田幡浩一「no lemon, no melon」@ギャラリー小柳

注目の若手作家、田幡浩一さんの初めての個展開催中。
『スタジオボイス』3月号に記事を書きました。

3/3まで
www.gallerykoyanagi.com

記事を書くにあたって、田幡さんにじっくり話を聞き、
DVDでいろいろな映像作品を見せていただいた。
実は、田幡さんとの出会いはちょうど1年くらい前、
私が東京芸大の修了制作展でゲスト講評者として呼んでいただいたときのこと。
そこに出展していた田幡さんの作品がおもしろくて、
「こんなにちゃんとできあがっていたら、ギャラリーで
じゅうぶんやって行けると思うよ」などとボケたことを抜かす私に
「あの、もう、小柳さんとこでお世話になっていて、
アート@アグネスにも作品が出ます」と、ポツリつぶやく田幡さん。
は、恥ずかしかった…。
そう、すでにカルティエ財団での「j’en reve(私は夢見る)」という
とても若い作家ばかりを集めた展覧会にも、彼は出品していたのだ。
その展覧会は、世界各国の名のある作家が、若手を推薦するという方式で
田幡さんは杉本博司さんの推薦によって選ばれていた。
(その理由は、田幡さんの作品を見れば納得。)

モニターに映し出された作品は、さらっとさりげなくて、でも
なんだか気になっていつまでもじっと観てしまう。
動かないけど、動いてる。
という、禅問答のような表現になってしまうのだが
その「とんち」のような、ウィットがじわじわと効いてくる。
そして、それはたとえば940枚、同じ位置に同じ蠅の絵を描き、
それをアニメーションとして見せる、という、手のかけかた、
時間の凝縮のされかたによるものなのだ。

目に見えているものについて考える。
表面に見えているもの。その背景に、見えないけれど在るもの。
見えないけれど、人が想像することで存在するもの。
映像作品だけでなく、ペインティングやコラージュの作品にも、
そうした田幡さんの視点は一貫して表れる。
観る人に謎をかけるように。
とてもさりげなく、しかし忘れがたく。

田幡さんは、「さりげなさすぎる?」ことを気にしているみたいだけど。
TV(プロフェッショナル)で茂木健一郎さんも言っていた。
「手をかければかけるほど、(手をかけたものを目にした時)
脳はそれを真剣に受け止める」。
だから良いというわけでもないけれど、
パッと見て「きれい!」というだけじゃなくて、確かに何か手触りを残すことができる、
そういう作品だと思うので、すぐに作者の意図が理解されないとしても、
いつか「あ、そうだったんだ」と伝わるんじゃないだろうか。
私はそういう作品がとても好きなので、田幡さんにがんばって欲しいと思う。

(…詳しくは、スタジオボイスで。
いえ、展覧会を実際に観ていただくのが一番!
そして先日、田幡さんを交えたスペシャルな企画の取材を
させていただきました。お目見えするのは3ヶ月くらい先ですが。)

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コメント (1)

二月は、私もなんだか色々なことに忙殺されていたのですが、この記事、染み渡るように脳に入ってきます。きっと、田幡さんの作品がそうなのでしょうね。

手のかけた、時間の凝縮のされかたもの…見えないけども在るもの。
見えないけど、人が想像することで存在するもの。

そういった感覚をアートがもたらしてくれるっていうのは、本当に中に入り込んでいく感覚が、豊かな作品なんだなあと思いました。(^-^)

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