小島やよいのアートママ奮戦記

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memory03:妊婦生活

実はこれ、1年以上前に書いてアップだけしていて、公開していなかったのです。
何かきっかけを失ったというか。
でも最近、ある作家の方と話していて、この思いが強くよみがえり、
出産の医療事故裁判のニュースを見て考えさせられたこともあって、
今こそ公開しておきたいと思いました。
長いですが。
****************

今回は、RQ誕生からさかのぼって、妊娠中のことで思い出深いことを。

(memory01:RQが生まれたときのこと)
http://artmama.lammfromm.jp/2006/09/memory_1_rq.html
(memory02:入院中のこと)
http://artmama.lammfromm.jp/2007/03/memory_2.html


実は私にとって「妊娠」は思いがけないことだったが
ある時、「もしかして!?」と思い、「もしかしてもしかして…」
と思っているうちに、もう確信に変わっていた。
「私の中に、もう一人いる。」
でも、すぐには婦人科に行けなかったけど。
決心して受診。試薬の結果が机に置かれていて
+(プラス)
の文字が大きく、はっきりと見えた。
ああ、やっぱり。

それは私のパートナーにとってはもっと思いがけないことで、
私が迷いもなく「産む」と決めたことに面食らっているようだった。
そう。本当に、何の迷いもなく「産むのだ」と思った。
「たとえシングルマザーになったとしても」って、あてもないのに…。
どうしよう!?と思いつつも、なんだか、「一人じゃないから、大丈夫」と
おなかの子に励まされてる気がして、みょうにポジティブになっていた。
これって動物的本能なのかな?
遺伝子が、「ちゃんと産んで残せよ」と言っていたのか。

仕事は、ちょうど忙しいさなかで、エルメスで「杉本博司 歴史の歴史」展の
展示作業をしていた時だったので、何事もないかのように続けていた。
おかしかったのは、
出品作品の中に、古墳時代の「石棒」があり、
杉本さんのお宅で見せていただいた時、少し手を触れたのだが、
「これはおそらく多産の願いがこめられたものだから、
触るとご利益がある(妊娠する)かもよ」
というような話をされていて、
展示中にも、他の人たちにその話をされていたこと。
「あー、絶対、ほら本当でしょ、って言われちゃうな」と、
ちょっと悔しいような照れくさいような気持ちだった。
実際、後になって、
「本当にそのご利益を証明するとは、キュレーターとしてエラい(笑)」
などと言われたものだ。苦笑。

ほんとうに、ご利益だったのかなあ?

「妊娠はうつる」と言うけれど、
科学的にはそんなの根拠がないと思っていた。
でもこの前、八谷さんと話していたら、あながちウソでもないのではないかという話になり、
「月の満ち欠けに女性の生理が影響されたり、
女子寮とか合宿で生理の周期が似通ってきたりするということは、
妊娠した人のホルモンとかに影響されることって、やっぱりあるんじゃないか」と。
そういえば、私も妊娠した頃に、臨月の友人に久々に会って、
おなかをなでさせてもらったなあ、と思い出した。
そういう生身の人間の、動物的な「刺激」の他にも、
多産とか安産を願う人々の想いがたくさんたくさん込められて、
「産みたい」バイブレーションを内包した石棒だったとしたら。
やっぱりご利益だったのかも?

ちなみに、妊娠前後を通して関わっていたのが、
草間彌生さんの展覧会「クサマトリックス」だった。
「草間」と「マトリックス」をミックスした造語だけど、
「マトリックス」には「母胎」という意味がある。
後づけだけど、いろいろな符合が「そういえば」と思い起こされてきて、
「そろそろ母になりなさい」という時期だったのかなあ、
気づかないうちに、意識はそこに向かっていたのかなあ。とも思う。

だけど、「そうか」と思った瞬間からの、あの根拠のないポジティブさ。
自分でも、今でも不思議だ。
やっぱり理性を超えた何かに突き動かされて、人間は生きているのだなと、つくづく思う。そうじゃないと妊娠も出産もなかなかできないもんね。

さて、妊婦生活の始まりである。
5ヶ月目くらいまでは、ちょっと太った?というくらい。
いわゆる「うっ」と口を押さえるような、ドラマで見るようなつわりはなかった。
眠い。とにかく眠くて、
夜型の仕事だから、帰宅が深夜になることもたびたびなのだが、そんなときは着替えもせずにベッドでバタンキュー。
体が、休息せよ!と要求しているのだった。
食欲もそれほど変わらないのだけれど、食べないのは良くない、と思い、
塩分と甘いものは控えて!と産婦人科で言われたのを気にしつつ、
ローカロリーを心がけつつ、食べていた。アルコールは、たまにビール一杯くらい。
ラーメンは避けた。でも8〜9ヶ月の頃に、無性にカレーが食べたくなることがあり、
なんでだろう?不思議だった。
「2人分なんだから」と食べる必要はない。
体重の増え過ぎは妊娠中毒などを引き起こすので絶対ダメ!
というのが、今の常識だ。
でも母の世代ではそうではなかった…
だからごちそうを用意してくれて、
「食べなさい、あなたのためじゃなくておなかの赤ちゃんのために」と言われると、
イヤとは言えず。
結局、35週で体重は妊娠前より10kg増。
(でも出産したらすぐ減るんだもん!)と思っていた。
が、しかし…!
「産後の体型戻しに失敗」
この話はまた改めて。

少し、おなかが目立ってきたかなと思ってきた頃。
東京郊外の大学で、会議に出席することになり、向かう。
が、あまり気分がすぐれず、遅れ気味で家を出る。
中央線が遅れていて、ホームで待つことしばし、
待つ人がどんどん増えてくる。
当然、やっときた車両は混雑。座れない。
かなり辛くなってきて、つり革につかまった自分の腕にもたれ、
肩で息をする。でも席を譲ってくれる人はいない。
30分、もう限界!というあたりで駅に着く。
遅刻しているので、慌ててタクシーに乗り込み、お詫びの電話を入れる。
…と。
おなかがグリグリッと動く。
え?
グリグリグリっ。
ママ、大変なの?落ち着いて。苦しいよ。
と言われているようだった。
これが初めての胎動。
ああ、ごめんね。
と、おなかに手を置き、深呼吸して気持ちを落ち着かせる。
それでも、会議中もときどきおなかがグリグリしていて気になった。

以後、胎動はどんどん派手になっていく。
「また、蹴ってる!」とわかる。
「この子はサッカー選手か、ドラマーかいな」と思ったものだ。
生まれた後、赤ちゃんの時にも足を盛んに動かして、蹴る蹴る。
この調子で私のおなかを蹴ってたんだな。と納得。

「先生、性別ってもうわかるんですか?」
定期検診のモニターで見ていたとき、なんとなく、あれ?と思うものが見えたので
訊いてみた。
「お子さんの性別、知りたいですか?知りたいという場合だけ、お知らせしますが」
「はい、わかれば教えてください」「そうですか、男の子です。」(やっぱり!)
「育てるのは、女の子の方がラク」と聞いていたので、ひゃー大変だ!と思いつつ、
「うん、それで、守ってくれてるような、頼もしい感じがするのかな」と嬉しくなった。
夫に「知りたい?」と聞くが、「知りたくない」というので言わなかった。

胎教というほどのことはしなかったが、
一人になると、よくおなかの子に話しかけていた。
「ミニちゃん」と呼んでいた。
そして、なるべくゆったりした気持ちで過ごそうと心がけて、
夫と喧嘩したりするのは避けようとしていたのだけど。
不安とストレスで、時々どうしようもなくなり、大泣きしたものだ。
おなかの中でのことを、3歳くらいまでこどもは覚えていると言うけれど、
どうなんだろう?まだRQに訊いたことはない。
(*その後、訊いてみたけど、あんまり覚えてないみたい。)

立っているのが辛いので、好きなライヴには行けなくなった。
でも臨月に、デヴィッド・シルヴィアンのコンサートがあり、
ホールで着席だったので夫と一緒に行った。
気持ちよかった。こどもも気持ちよく聴いていたと思う。

飯田橋にマタニティ・ヨガの教室があることを知り、行ってみる。
助産士さんが資格を取ってインストラクターをしていたので、安心だった。
まわりはみんな妊婦さん。そんな状況って産婦人科の定期検診以外になかったので、
新鮮な感じ。
リラックスして、深い呼吸をするポーズが中心だったので、気持ちよかった。
最後はいつも、「目を閉じて、自分の心の声を聞く」。
そういう訓練が、分娩の時にも役立つのだそうだ。
レッスンの後は車座になり、ハーブティーをいただきながら、
自分が思っていること、不安なことなどを一人ずつ話していく。
インストラクターがアドバイスをくれて、他の人の話を聞くのも新鮮だった。
何しろ、普段、他の妊婦さんと話すことはほとんどないので、
「自分だけ」感が募りがちだったから、良い気分転換になった。
途中から、アーティストの紺泉さんが「妊婦仲間」となり、
ヨガにも一緒に通って、お互い不安なことを話し合ったりできるので、嬉しかった。

マタニティファッションについては、また改めて。

以前、2回も同じ番組を、2回とも偶然見たのだが、
NHK教育テレビの「福祉ネットワーク」という番組で、「誕生死」というテーマの特集。
生まれる前に母胎のなかで、あるいは、誕生して間もなく、
我が子を亡くしてしまった女性たちが出ていた。
他人事と思えず、2回目も見てしまったのだが、
その中で特に心に響いたのは
「少子化というと、産む産まないということだけが言われますが、
無事に生まれるということは、いくつもの奇跡が重なって
初めてできることなんだということを、
もっと広く人々に知って欲しい」
という、一人の女性の言葉だ。

私自身も、出産のときちょっとした試練を経験したからこそ、
この言葉が胸に響くのかもしれない。
無事に産んで、無事に育てることは、医療技術が発達した現代では、
あたりまえのことだと、思い込んでいはしまいか?
ほんの一昔前までは、出産で命を落とす女性も珍しくなかったし、
生まれたこどもが無事に成長する確率も低かった。
でも実は、出産が女性にとって命がけの試練であることは、
今も変わりがない。命を落とさないまでも、体力は相当消耗するし、
出産をきっかけに持病を持つ人も少なくない。
などと強調すると、出産に恐れを抱かせて、少子化を促進する!
と批判されるかもしれないが、
そうではなくて、
出産というのは素晴らしいことで、それは何にもかえがたい喜びである。が、そのために、女性はリスクを負っている。
無事に産んで、無事に育てられることは、いくつもの幸運が重なって
初めて可能になることなのだと、いうことを、
一人でも多くの人に認識してほしいし、
私自身も忘れずにいなくてはいけない、と思う。

妊婦さんっていいなあ。と思う。祝福されてるオーラがあるもの。
今でもその時の気分を思い出すと、ちょっと幸せです。

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